
(【12月8日 THE GOLD ONLINE】)
【輸出先ランキング、中国が2位以下を引き離して第1位で、第2位(米国)と第3位(日本)を合計したほどの規模】
世界各国で中国の存在感が増していること、とりわけ東南アジアにおいてはアメリカの存在感を凌駕することも珍しくない状況にあることは今更のことです。
インドネシアでも、輸出先トップ10を見ると、中国が2位以下を引き離して第1位で、第2位(米国)と第3位(日本)を合計したほどの規模です。輸入元トップ10を見ても、中国はトップで日本の3倍を超えています。
20年ほど前(2000年)には、輸出先の第1位は日本で、第2位は米国と、中国は目立ちませんでした。また当時は輸入元としても日本が第1位で、第2位がシンガポール、第3位が米国で、中国は目立ちませんでしたので、この間にインドネシアでは日米の存在感が薄れ、中国の存在感が飛躍的に高まったことが分かります。
投資関係を見ると、中国の対インドネシア直接投資累積額は180億ドルほどです。インドネシアGDP比で1.7%とその影響は大きいと言えます。米国もインドネシアに約187億ドルとほぼ同規模の投資をしていますが、その差は縮まりつつあります。
一方、自動車産業や大手商社、それにヤクルトや味の素のような食品メーカーが進出していることもあって、日本の対インドネシア直接投資累積額は約383億ドルと、米中両国の2倍を超えており、投資という面ではインドネシアでは日本の存在感の方が米中よりはるかに大きいと言えます。【12月8日 THE GOLD ONLINEより】
****ASEANで唯一G20加盟国「インドネシア」の大統領が、初めての外国訪問で、米国でも日本でもなく「中国」を選んだワケ*****
(中略)
価値観が相容れなくても、中国との距離感が近い国「インドネシア」
■両国の距離感(ポイント)
欧米型民主主義の国であり、歴史的に共産主義をタブー視するため、政治面では中国の価値観と相容れません。 しかし長い交流の歴史から中国文化に対する理解は深く、途上国同士で共感できる面もあります。
世論の反中感情もそれほど強くなく、経済面では極めて親密な関係にあります。総括するとインドネシアと中国の距離感は「やや近い」と評価しています。
インドネシアはASEANの人口の約4割、GDPの3割強を占める大国で、ASEANで唯一G20の参加メンバーです。中国とは長い交流の歴史があり経済面の関係は極めて親密ですが、米国との経済関係も親密であり、欧米型民主主義の価値観を共有しています。(中略)
■インドネシアと中国、「国交樹立後」の主な外交関係
インドネシアと中国は1950年4月13日に国交を樹立しました。その後10年余は順調に外交関係が発展していきましたが、1965年に「9・30事件」(国軍と共産党の権力闘争。中国は否定しているものの、中国共産党の関与が強く疑われ、両国の関係は悪化)が発生し、1967年に外交関係を中断することとなりました。
その後、東西冷戦が終結すると、1990年8月に外交関係を回復し、2005年には戦略的パートナーシップを確立、2013年には包括的戦略パートナーシップに格上げすることで合意しました。 その後の両国関係は改善傾向にあります。
インドネシアは南シナ海のナトゥナ諸島を巡る問題で中国とにらみ合う関係にありますが、2018年には一帯一路と、ジョコ・ウィドド大統領が海洋経済の発展を目指して2014年に提唱した「全球海洋支点(Global Maritime Fulcrum)」を共同で建設することで合意しています。また2021年には「両国双園(相互に工業団地を設立し商工業の協力を深める趣旨)」の覚書にも調印し、企業誘致説明会を共同開催したりしています。
次期大統領に決まったプラボウォ氏(就任は2024年10月)は、初めての外国訪問先として中国を選びました。ただし直後に日本を訪問するなどバランスをとることとなりました。
なお、米軍とはガルーダ・シールドと呼ばれる合同軍事演習を行っています。しかし、イスラム教徒が多い国なので、イスラム教徒が大宗を占めるパレスチナへの共感から、イスラエルに対する反感が根強くあり、イスラエルの後ろ盾である米国と対立する面もあります。(後略)【12月7日 三尾 幸吉郎氏 THE GOLD ONLINE】
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【“欧米型民主主義の国であり、歴史的に共産主義をタブー視する”とのインドネシアだが、プラボウォ大統領と中国の相性はいいかも】
上記記事にあるように1965年に「9・30事件」が起きましたが、冷戦時代と違って現在は「反共」という対立軸はさほど強くないように思われます。
また、“(インドネシアは)欧米型民主主義の国であり、政治面では中国の価値観と相容れません。”という点でもやや疑義が。
確かにインドネシアは欧米型民主主義を是とする国ではありますが、どこまで民主主義・人権尊重といった価値観が根付いているのか・・・点ではやや疑問も。
特に現在のプラボウォ大統領は選挙戦では好々爺イメージをアピールしていましたが、スハルト政権下の軍人時代は東ティモールでの武力弾圧など人権侵害が指摘されており、大統領就任後も次第に強権的な側面が垣間見えるようにもなっています。
今年8月には議員住宅手当をめぐる問題で抗議デモが拡大しましたが、軍・警察は厳しい対応でこれに臨んでいます。
****インドネシア、抗議デモ激化で首都に軍配備 重要施設には狙撃手****
インドネシア各地では1日、議員手当など政府の経済政策に抗議するデモが続き、治安確保のため首都に軍が配備される中、一部デモには数千人が参加した。抗議は激化し、これまでに6人が死亡している。
1日午後、ジャカルタの国会議事堂周辺で行われた抗議集会には、少なくとも300人が参加し、兵士数十人が監視に当たった。AFPの記者によると、スマトラ島パレンバンでは数千人、ボルネオ島バンジャルマシンやジャワ島の主要都市ジョグジャカルタでは数百人が抗議に加わった。
「私たちの主な目標は議会の改革。議員は私たちの代表なので、直接会って話がしたい」と、抗議に参加した20歳の大学生はAFPに語った。
抗議は先週、議員住宅手当をめぐる問題で首都ジャカルタで始まった。当初、デモは平和裏に行われていたが、28日夜にバイク運転手が軍の車両にはねられて死亡する映像が公開された後、警察の精鋭部隊に対する抗議の声が激化。プラボウォ・スビアント大統領と議会指導部は措置の撤回を余儀なくされた。
抗議はジャカルタから他の主要都市にも広がり、プラボウォ政権下で最悪の騒乱となっている。
警察は1日、首都各所に検問所を設置。警察と軍が市内を巡回し、重要施設には狙撃兵も配置された。警備体制の強化を受け、少なくとも1団体は予定していた抗議デモを中止した。 【9月1日 AFP】
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****インドネシアで続く抗議、女性たちがピンクの服でほうき手に参加 大統領は中国の式典に****
(中略)(抗議デモが激化する状況で)プラボウォ・スビアント大統領は、中国の戦勝記念式典への出席を中止すると発表していた。しかし、同大統領は3日、習近平国家主席やロシアのウラジーミル・プーチン大統領と並び、記念撮影に臨む姿が確認されている。(中略)
インドネシア法律扶助財団のデータによると、8月末からの一連の抗議活動により、少なくとも10人が死亡しており、その一部は警察による暴力が原因とされている。また、全国で少なくとも1042人が病院に搬送されたという。
国家人権委員会のアニス・ヒダヤ委員長は、現在の状況について、特に当局による暴力が続いているとし、深刻な懸念を示した。
ヒダヤ委員長は2日、ジャカルタで開かれた記者会見で、「こうした行為は、対話の場が極めて限られていることの表れだ。人々が自らの問題や困難を訴えようとしても、その場は存在しているように見えて、実際には容易にアクセスできない」と述べた。
プラボウォ大統領は8月31日、全国的な抗議の沈静化を図るため、議員に支給されている国家予算による特権の一部、特に手当の規模について見直す方針を発表した。
この措置は抗議者から一定の評価を受けたが、十分ではないとの声も上がっている。
インドネシア全学生連合の元中央調整官であるヘリアント氏はBBCに対し、「問題は一つではなく、長年にわたる不平等、統治、説明責任に対する懸念が背景にある」と語った。
「象徴的な変化も重要だが、人々はより深い改革を求めている。特に農業政策、教育、公平な経済機会といった一般市民に直接影響する分野だ」
「最終的な目標は、より説明責任があり、透明性が高く、市民中心の統治を実現することにある」【9月4日 BBC】
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また、インドネシア政府は11月10日、国の発展に貢献した故人に与える称号「国家英雄」を、スハルト元大統領に与えると発表しました。
(プラボウォ大統領が軍人時代に師事し、元娘婿でもある)スハルト元大統領は国の工業化を推進し「開発の父」と呼ばれた一方で、32年にわたって独裁政治を敷き、反政府勢力の弾圧を続けた人物でもあり、その評価は分かれます。
****インドネシア、スハルト元大統領を国家英雄に 32年間、独裁政権****
インドネシア政府は10日、32年にわたり独裁政権を続けた故スハルト元大統領に、名誉称号「国家英雄」を授与した。人権侵害の歴史を隠蔽(いんぺい)する動きだとして、人権団体などから反発の声が上がっている。
スハルト氏は1965年、精鋭部隊の戦略予備軍司令官として、共産党のクーデター未遂とされる「9・30事件」を鎮圧した。共産党を壊滅させる過程で、50万人以上が虐殺されたとされる。66年3月、「建国の父」スカルノ初代大統領から実権を奪い、68年に第2代大統領に就任した。
「開発独裁」と呼ばれる体制のもと、日本や米国などの資本を導入して経済成長を進めた一方で、言論の自由を抑圧。縁故主義や汚職も横行し、在任中の不正蓄財は最大350億ドルに上ると推計されている。
スハルト氏は2010年と15年にも候補となったが、称号の授与を逃してきた。だが、24年10月に就任したプラボウォ大統領は、スハルト氏の元娘婿であり、国軍の最高幹部として独裁政権を支えた経歴を持つ。過去の選挙戦でも、同氏の選出を明言していた。
スハルト政権下での民主化運動弾圧などを追及してきた人権NGOは、重大な人権侵害に責任があるとして、称号授与は「不適切だ」と批判。インドネシア法律扶助協会も10日、「法的にも人権的にも矛盾する」との声明を発表した。
政府は歴史教科書の改訂作業も進めており、スハルト政権を肯定的に再評価する可能性があるとして、懸念が広がっている。
国家英雄の称号は、国の独立や発展に貢献した故人に毎年授与され、今年はスハルト氏のほか、民主化を推進した故ワヒド元大統領ら計10人が選ばれた。【11月11日 毎日】
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冒頭のインドネシアと中国の関係に戻りますが、上記のようなプラボウォ大統領の政治を考えると、“(インドネシアは)欧米型民主主義の国であり、歴史的に共産主義をタブー視するため、政治面では中国の価値観と相容れません”というのはいかがなものか・・・・
自身が人権侵害の弾圧を行い、「9・30事件」で50万人以上を虐殺したスハルト元大統領を国家英雄として称賛するプラボウォ大統領と天安門事件を正当化する中国というのは結構相性がいいのかも。
今後ますますインドネシアと中国の関係は緊密になるのかも。
【民主主義の後退はジョコ前政権時代から】
インドネシアの民主主義の在り様について付け加えると、その「後退」は人権侵害の過去を持つプラボウォ大統領の登場で始まるものではなく、その前の国民的人気のあったジョコ大統領時代からその傾向が見られるとの指摘も。
*****インドネシアで進む権力集中と民主主義の後退。平和的に選挙と政権交代が行われているようだが…****
インドネシアでは2024年に大統領選挙が実施され、当選したプラボウォ・スビアント氏が新大統領に就任した。24年は多くの国で選挙が実施され、与党敗北や政権交代も多かった。
その中でインドネシアは、前職大統領の任期満了に伴う選挙だったために政権は交代したものの、プラボウォ氏は前大統領の全面的なバックアップを受けて圧勝するなど、継続性の高い政権交代となった。投開票は平穏に行われ、政権交代も平和的に進んだ。
一見すると、インドネシアの民主主義は安定しているように思われる。
ただし、当選後のプラボウォ氏には、とくに外国メディアから厳しい視線が注がれた。プラボウォ氏には、スハルト独裁政権(1966〜98年)末期に陸軍高級将校として数々の人権侵害事件に関与した疑いがあったためだ。
これに対してプラボウォ氏は、59%の得票率で圧勝した自信から、「私は選挙で信任された」と述べたうえで、「民主主義が心配だという言説はメディアが作り上げたものだ」と懸念を一蹴した。
「後退」は前政権期から
しかし、選挙後、民主主義のルールや価値観を無視したり軽視したりするような出来事が続いている。例えば、政権発足前には大統領が自らの一存で中央省庁の数を決められるようにする法改正が行われるなど、大統領権限の強化が図られた。
プラボウォ氏はその権限を使って政党に大量のポストを分配。国会議席の約8割を押さえる巨大与党連合を形成することに成功した。野党は1党のみとなり、議会による権力の抑制機能はほぼ失われた。
巨大与党連合は、統一地方首長選挙でも形成された。民主化後の地方分権化で中央政府の思いどおりにならなくなった地方政府をコントロールする体制が整えられた。
政権発足後には、軍の政治関与を制限するために民主化後に制定された国軍法が改正され、現役軍人が出向できるポストが拡大された。プラボウォ政権では、大統領と関係の近い軍出身者が閣僚や政府ポストに多数任命されるなど、軍の影響力の拡大が続いている。
ただし、民主主義が後退しているのは、新しい大統領が独裁政権期に軍人だったからではない。実は、この現象は、インドネシア初の庶民出身大統領として国民の人気が高かったジョコ・ウィドド前政権(14〜24年)の下で始まったものである。
ジョコ前大統領は、インドネシアが新興経済大国として注目されるようになった時期に政権に就いた。45年にインドネシアを先進国にするという目標を立て、国家主導で経済開発を進めようとした。
そのために安定した政権基盤が必要だと考えたジョコ氏は、野党の党内権力闘争に介入して親大統領派に党を掌握させ、そのうえで野党を政権に取り込んだ。第2期政権(19〜24年)では、大統領選を戦ったプラボウォ氏を閣内に迎えて政権外の反対勢力を懐柔。その結果、国会では与党連合が7割前後の議席を押さえることとなり、野党は力を失った。
権力抑制の仕組みも破壊
ジョコ氏は民主化改革で構築された権力抑制の仕組みも破壊していった。準司法機関として高い独立性と強い権限を与えられた「汚職撲滅委員会(KPK)」を弱体化させる法改正を行ったほか、強い違憲審査権を持つ「憲法裁判所」の長官の再婚相手として妹を嫁がせて懐柔を図るなど、権力分立の制度が徐々に侵食されていった。
また、「イスラム保守派」が台頭したこともジョコ政権がさらに強権的な性格を帯びる契機となった。イスラム保守派は、イスラム的価値観が政治・経済の場で実現されることを目指すグループである。その主張は、多民族多宗教の共存を掲げる世俗国家の統一を脅かしかねない。
そこで政府は、国家統一の擁護という名目でイスラム保守派団体への締め付けを強化し、主要な団体を解散に追い込んだ。
ところが、強権的にイスラム主義運動を抑え込む政府の動きは、政府批判を行う市民や学生の運動へと対象が拡大していった。政府を批判するデモや活動に対して、厳しい取り締まりが行われた。ネット上でも、政府批判の言動が偽情報の拡散や名誉毀損といった理由で摘発されるなど、言論活動に対する監視が強まった。
22年末には刑法典が全面的に改正された。そこには、思想の自由に抵触するような条項や、政府に批判的な言動の取り締まりを可能にするような条項が盛り込まれた。
24年には、ジョコ政権が選挙プロセスに介入したとの疑惑が浮上した。プラボウォ氏はジョコ氏の長男であるギブラン・ラカブミン・ラカ氏を副大統領候補に選んだが、ギブラン氏は立候補の年齢要件を満たしていなかった。
ところが、ジョコ氏の妹婿である憲法裁長官が主導して選挙法の解釈を変更し、ギブラン氏の立候補を可能にした。
また、ジョコ氏は、地方首長や警察を通じてプラボウォ氏の当選を後押しする選挙工作を行ったとも報道された。
ジョコ政権下で民主主義が後退したことは、インドネシア政治研究者の間では共通認識となっている。スウェーデンの独立調査機関V-Dem研究所の指標では、「自由民主主義指標」がジョコ政権の10年の間に大きく低下したことが示されている。

自由民主主義指標の構成要素である「自由主義指標」は、第1期ジョコ政権末期の18〜19年以降大きく落ち込んでいる。これは、法の支配や執政府に対する統制が失われつつあることを示している。表現の自由や結社の自由、選挙の公正さを示す「選挙民主主義指標」は、ジョコ政権発足当初から低下し、24年には0.5を切った。V-Demの定義では0.5以上の国が「民主主義」と分類されている。今や、インドネシアは「権威主義」へ移行しつつあると評価されているのである。
国民から高い支持
それにもかかわらず、国民は政権を支持している。ジョコ政権10年間の平均支持率は68%。しかも任期末になるほど支持率が上昇した。プラボウォ政権に対しても、発足100日時点での支持率が81%を記録した。
政権への支持率が高いのには、コロナ禍期を除いて5%の安定した経済成長率を維持した一方でインフレ率が非常に低く抑えられてきたという経済的理由がある。一方、政権を批判できる強力な野党が存在せず、市民の批判の声を政権が摘み取ってきたためでもある。
結果的に、選挙も政権交代も平和的に行われた。政局も非常に安定している。ただし、こうした政治の安定には負の側面が存在する。
大統領を中心とした一部政治エリートのみに権限が集中するため、政策決定のスピードは速まった。一方で、政策の安定性と決定プロセスの透明性は低下する。権力の抑制が働かなくなり法の支配が軽視されれば、政策に対する予測可能性が落ちる。
軍出身者などの側近を重用し、密室で政策を決定する傾向にあるプラボウォ大統領の下で、民主的なガバナンスはどれだけ保たれるだろうか。【7月7日 川村 晃一氏 東洋経済オンライン】
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