
(香港の刑務所を出るチャン・トンカイ容疑者(2019年10月23日撮影)【10月23日 AFP】)
【香港の運命を左右する事態にも発展したある男の犯罪】
あることをしでかした人間が全く考えてもいなかった方向に事態が発展して大騒動に・・・というようなことは、世の中には多々ありますが、香港人の陳同佳(チャン・トンカイ)が台北のホテルの一室で女性の首を絞めたとき、まさかこんな事態になるとは夢にも思わなかったでしょう。
****香港デモの発端となった容疑者が出所 台湾での殺人で裁けず****
(中略)陳・元受刑者と被害者の女性は2017年7月から交際していた。昨年2月に2人で台湾へ旅行し、香港へ帰る予定日の未明に台北市内のホテルで口論になったという。
元受刑者は、女性から元交際相手との子どもを妊娠していると聞かされ、性行為の動画を見せられたと供述した。
かっとなって両手で女性の首をしめ、床に倒れ込んで10分ほどもみ合ううちに、女性は死亡したという。
元受刑者は女性のスーツケースに遺体を詰めてホテルを出た。地下鉄で台北郊外へ向かい、公園の茂みに遺体を隠してから香港行きの便に乗ったとされる。
香港検察によれば、元受刑者は女性の持ち物から抜き出したキャッシュカードを使い、台湾と香港で現金を引き出していた。
3月になって女性の家族が台湾の警察に捜索願を出し、約1週間後に公園で遺体が発見された。(後略)【10月24日 BBC】
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この事件をきっかけとして、香港政府が「逃亡反条例」改正案を香港立法会(議会)に提出、その後香港で「一国二制度の形骸化をめぐるかつてない大規模・長期抗議行動に至っていることは周知のところです。
香港政府は改正案によって、これまでケースバイケースで対応している刑事容疑者の身柄引き渡し手続きを簡略化し、香港が身柄引き渡し条約を結んでいる20カ国以外にも対象を広げ、香港から中国本土や台湾、マカオへの身柄引き渡しも初めて明示することで、香港を本土からの犯罪人の逃避先にしていた「抜け穴」を塞ぐことができると主張。
しかし、香港で中国政府の意にそわない活動をした者が、場合によっては適当な事件をでっち上げられ、中国本土に送付され、政治的な裁判にかけられる恐れも・・・・改正案が成立すれば香港での「自由」が失われるとの認識のもとで「最後の戦い」とも位置付けられる激しい抗議行動になっていることは周知のところです。
香港政府は改正案を正式に撤回しましたが、抗議行動の求めるものは普通選挙導入など「5大要求」にエスカレートしており、単に改正案撤回や、林鄭月娥(りんていげつが)行政長官の首では収束しないところにきています。
抗議行動自体については、ここ2,3日、あまり目立った報道はありませんが、デモ参加者にマスクの着用を禁じた「覆面禁止法」などに反発した市民が20日も抗議活動を続け、民主派団体は「少なくとも35万人がデモに参加した」と明らかにしています。
抗議行動そのもの以外に注目されているのが、比較的民意が反映しやすいとされている区議会(地方議会)選挙の行方です。
****香港区議会選、選挙戦スタート デモ参加者が続々出馬 ぬぐえぬ「選挙中止」の懸念****
中国本土への容疑者引き渡しを可能とする「逃亡犯条例」改正案を発端とした混乱が続く香港で、11月24日の区議会(地方議会)選挙の立候補受け付けが21日までに締め切られ、選挙活動が本格化している。
デモ参加者も出馬を申請しており、「親中派」対「民主派」の構図は鮮明だ。民主派勢力が議席を伸ばすとの見方が広がる中、選挙の実施そのものを危ぶむ声も聞こえる。
■市民の意思を反映
(中略)過去の区議会選は無投票の選挙区も多く、ゴミ問題や道路改修など身近な課題が票に結びつくとされる。ただ、今回は市民の関心が高く、前回選挙(15年)より約44万人多い、約413万人が投票に必要な選挙人登録を済ませた。投票率の上昇も予想され、民主派伸長が見込まれる。
立候補は17日に締め切られ、1104人が届け出た。(中略)
■「選挙中止の懸念」
一方で、懸念もわき上がる。香港では16年に選挙管理委員会が候補者の政治信条を事前審査する仕組みを取り入れており、立法会議員選では民主派の出馬が認められないケースが相次いだ。
雨傘運動の元学生団体リーダー、黄之鋒氏(23)も区議選に立候補を届け出たが、21日時点で選管から立候補の承認は得られていない。政府が民主派候補の立候補を制限する可能性はある。
また、デモが継続する中での選挙戦で、親中派議員は「選挙活動が妨害される可能性がある」と不満を訴える。政府が「安全上の理由」から延期や中止に踏み切る懸念もぬぐえない。
林鄭月娥(りんてい・げつが)行政長官は「選挙は実施する」と強調するが、親中派議員の不満は「当然だ」と一定の理解を示す。
ある民主派陣営幹部は「区議選は、香港で最も民主的な選挙。延期や中止となれば市民の怒りは極限にまで達するだろう」と予想。区議選の行方が、抗議活動に影響することは間違いなさそうだ。
■香港区議会(地方議会)選挙
18区計452議席を小選挙区の直接選挙で選ぶ。任期は4年。18歳以上の永住者が選挙権を持つ。立法権はなく政権運営には関与しないが、行政長官選挙の投票権を持つ選挙委員1200人のうち、117人は区議から選ばれるなど一定の影響力を持つ。現在、区議会では親中派勢力が324議席を占める。【10月21日 産経】
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一方、林鄭月娥行政長官の更迭を中国側が検討しているとの報道も出ていますが、まだよくわかりません。
いずれにしても、先述のように、“死に体”ともなっている長官の首でどうこうなる状況でもありません。
****香港長官の更迭報道 中国政府はデモへの「譲歩」を懸念か****
香港政府トップの林鄭月娥(りんてい・げつが)行政長官の更迭を中国政府が検討していると報じられたことを受け、24日付の香港紙では「長官交代は民衆の要求に応えたものではなく何の役にも立たない」(蘋果日報)と冷めた反応が目立った。
一方、中国政府にとって長官交代はデモ隊への「譲歩」と映りかねないためハードルは高く、抗議デモの状況を見極めつつ慎重に時期を探るとみられる。
香港紙、明報は「林鄭氏辞任では難局を脱することはできない。政府は5大要求に応じるべきだ」との民主派議員の発言を伝えた。23日の英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)による林鄭氏の更迭検討報道を受けた反応だ。
香港でのデモの重点は普通選挙制度の導入など「5大要求」実現に移っており、23日に宣言された「逃亡犯条例」改正案の正式撤回、そして今後林鄭氏の辞任が実現しても沈静化の兆しは見えにくい。
林鄭氏の存在感は既に失われているに等しいが、中国政府も簡単には首をすげ替えることができないとみられる。中国政府で香港政策を担当する香港マカオ事務弁公室の幹部は8月、林鄭氏に辞任を求めることは「権力を反対派の手中に渡すのに等しい」と非公開の場で懸念を表明していたと香港経済日報が伝えた。
23日のFTも、中国政府は香港首脳部の交代がデモ隊の暴力行為への譲歩とみられることを避けるため、最終決定の前に沈静化するよう望んでいると報じた。
また、林鄭氏の辞任が取り沙汰されている背景として、1カ月後に迫った11月24日の香港区議会(地方議会)選挙の存在も指摘される。抗議デモへの支持の広がりから民主派勢力の伸長と親中派勢力の苦戦が見込まれており、事態打開のため香港政府が選挙の延期や中止に踏み切る可能性すら取り沙汰されている。
蘋果日報は「林鄭氏の更迭は区議会選挙の熱気を冷ますためという見方もあるが、それは無理なことだろう」という民主派議員の見方を伝えた。香港政府や親中派への市民の不満は根強く、林鄭氏の辞任程度では選挙への効果が期待できないためだ。【10月24日 産経】
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【殺人犯が宙に浮く台湾・香港のせめぎあい】
話を陳同佳(チャン・トンカイ)の事件に戻すと、この事件は上記のような香港の自治をめぐる大変な事態を惹起し、万一今後中国あるいは香港当局が犠牲者が伴う「天安門事件」のような手荒な鎮圧行動に出るとか、あるいは逆に、普通選挙実現に道がひらかれるとか(あまり想像できませんが)いった事態にもなれば、陳同佳の名前は歴史に長く刻まれることにもなります。
陳同佳の事件は、香港(その背後の中国)と台湾の間でも、“奇妙な”と言うか、“コミカルな”と言っていいような国際的問題を引き起こしています。
そもそも、殺人事件が起きたのは台湾で、遺体や防犯カメラの証拠映像などは全て台湾にあり、香港で事前に計画された殺人だったとの証拠もなかったため、香港側は殺人罪の捜査に踏み込むことができませんでした。
そのため陳同佳元容疑者は香港では殺人容疑では裁かれておらず、別件の資金洗浄(マネーロンダリング)の罪の刑期を終えて出所することになりました。
****「逃亡犯条例」発端の殺人事件容疑者が出所、香港と台湾が対立****
香港政府が「逃亡犯条例」の改正を提案するきっかけとなった殺人事件を巡り、別の罪で服役していた香港人の男が23日、刑期を終えて出所した。
男は2018年に台湾を旅行中に恋人を殺害し、香港に逃げ帰ったとされる。同年3月に香港警察が逮捕したが殺人は立証できず、資金洗浄(マネーロンダリング)の罪で禁錮2年5月の刑を言い渡された。
男は刑務所前で被害者の遺族に謝罪するとともに、台湾当局に出頭し罪を認める意向を示した。
香港政府はこの殺人事件を理由に中国本土や香港など、犯罪人引き渡し協定を結んでいない国・地域にも、容疑者の引き渡しを可能にする条例改正案を議会に提案した。だが市民による激しい抗議活動を受けて撤回を余儀なくされた。
男は台湾当局に出頭する方針を示しているが、次の措置を巡っては香港と台湾の意見が対立している。
香港公安局の李家超(ジョン・リー)局長は23日、台湾当局が「政治的な理由」で捜査を妨害しているとし、男が台湾当局に出頭することを認めるべきだと主張。
台湾は、法的な枠組みがないまま男の引き渡しを認めれば、台湾の主権が損なわれ、台湾が「1つの中国」の枠組みに入ることになると反論している。
台湾の対中国大陸政策を担う大陸委員会は同日、男が1人で航空機で台湾に向かうなど「信じられない」との声明を発表。男と同じ航空機に搭乗する乗客の安全を完全に無視していると批判した。
台湾当局は男を台湾に連れ戻すため、捜査関係者を香港に派遣する意向を示しているが、香港政府は司法管轄区域を越えた行動は認められないと主張している。【10月23日 ロイター】
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当初、台湾側は香港との司法協力制度がない現状では、「出頭は受け入れられない」として香港での訴追を促していました。
しかし、香港当局が「海外で発生した事件には司法管轄権が及ばない」と主張し、陳同佳の訴追を拒否。
刑期満了で23日に出所することから、台湾側は「凶悪犯が罪に問われないことは許されない」(大陸委)として、台湾での訴追方針に転換した経緯もあります。
香港・中国の立場からすれば、台湾も中国の一部であり、その台湾で出頭するのに何の問題があろうか・・・というところでしょう。
一方、台湾からすれば、台湾と香港(中国)は全く別個の司法制度が機能している国であり、本来は犯罪者の引き渡しにはそれなりの制度的なものが必要であり、少なくとも受け渡しにあたっては捜査員が香港に出向き、捜査資料の引継ぎなど行う必要があるという話にもなります。
逆に香港側からすれば、台湾の関係者が香港で司法活動を行うなど認められないということにも。
(殺人事件を起こした)男が1人で(一般乗客に混じって)航空機で台湾に向かうなど「信じられない」という主張は、ごもっともですが、なんだか笑える感じも。
陳同佳元容疑者は、親中派弁護士のすすめで台湾での出頭を希望しているとのことですが、上記のような香港・台湾のせめぎあいで、出所後は香港で待機しているとか。
****香港デモ発端の容疑者が自由の身に 台湾・香港の対立で****
(中略)男は台湾で司法の裁きを受ける意向を示しているものの、台湾・香港両当局による対応の足並みがそろわず、現時点では自由の身となり香港にとどまっている。
(中略)(陳同佳元容疑者は)1年6月の刑期を終え、23日に重警備の刑務所を出た。
同容疑者は、遺族に多大なる「心痛と苦悩」を与えたことを謝罪。「自ら出頭し…台湾に戻って裁判を受け、刑に服したい」と述べた。しかしチャン容疑者は目下、香港を出て台湾入りすることができず、自由の身となっている。
台湾当局は、チャン容疑者が一般旅行者として台湾に渡航することは認められないと主張。蔡英文総統は、同容疑者は自首ではなく逮捕される必要があると指摘した。
台湾側は、同容疑者を連行するため人員を香港に派遣することを申し出て香港に許可を求めたが、香港側はこの要求は敬意を欠くもので「全く受け入れられない」と拒否したとされる。
双方は、司法より政治的な駆け引きが優先されていると互いを非難している。 【10月23日 AFP】
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****香港デモの発端となった容疑者が出所 台湾での殺人で裁けず*****
台湾側は香港の域内での台湾当局への身柄引き渡しと事件関係資料の提供を求めているが、香港政府は声明で台湾警察が香港で活動する権限はないと言明。
陳・元受刑者の出頭は「任意」であり、香港政府は自由を制限する措置を取れず、台湾到着後に台湾当局が逮捕できると述べた。
ただ台湾側は、元受刑者が出頭してきたとしても、香港側から証拠の提供を含めた全面的な司法協力は得られない点に懸念を示している。【10月24日 BBC】
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殺人を犯した男が「えーっと、私はこれからどうしたらいいのでしょうか?」と迷っているという、(被害者の遺族には申し訳ない言い方ですが)非常にコミカルな状況です。
ただ、台湾と香港・中国をめぐる複雑な国際情勢を反映した事態でもあります。